つれづれなるままに~経営者の想い

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父の日

「爺さん倒れた。」三日前、弟からの知らせに茫然としました。
父は救急車で南紀医療センターに運ばれました。
病名は脳血栓で、命は取り留めたものの右手右足は不自由に
なっていました。
主治医の先生から説明があり、いざという時の覚悟も必要と
悟りました。
父は七月でもうすぐ九十歳になります。
先日占いで「父が私の事どう思っている?」すると、
「哉子さんが好きで、自慢の娘やて想っているよ?」
占いごときで私の心が変わる由もないはずなのに、
子どものように嬉しく心が明るくなりました。
そして数日後にこのような結果を迎えるなんて、悲しみは
底をつきました。
椎葉に嫁いでからというもの「椎葉家に尽くしなさい」というのが
父の教えでした。
まるで、朝ドラの「ととねえちゃん」のように、私は一生懸命働き、
椎葉家に尽くしてきました。
嫁いだ旦那さまはお人よしなために、資金面で泣きました。
でも、気持ちよく送り出してくれた父の事を想うと一言も
「お父ちゃんお金が足りない」なんて言ったことはありません。
その理由は、「お前が選んだ亭主がそれだけのもんや。」と言われるのが
おちかもしれないし、あるいは、最愛の父を悲しませたくはなかったというのが
一番の理由かもしれません。
公務員の家庭でのんびり過ごしてきたので、椎葉家に嫁ぎ
好きでもなかった商いをあの手この手でここまで繋いで
きたことを、父は「自慢の娘」と言いたかったのかも知れません。
公務員でありながら人より朝早く出勤し、人の何倍も働き、
それでいてその働きを出世の道具に使うことを嫌い、
評価されようがされまいがおかまいなし。
そんな父のDNAを私は持っています。
私は社長をさせていただいていますが、父そっくりの
気質にて、社長業より、脇役の方が好き。
人さんの会社だったらもっと大きくしてあげたいとか、
社長を喜ばせてあげるのに。
父の一粒のDNAは、確実に私に受け継がれている。
今日、父にかっこいいパシャマを買いました。
「おとうちゃんどうか生きて。一日でも生きて、私の晴れ姿を
観ていてください。」と叫んだ。
そして、レジの前に並んでは、子どものころが思い出され、
眼鏡の奥から、大粒の涙があふれ出た。
辛く、悲しい、父の日でした。

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